大阪府摂津市のマンションで3歳の男の子を殺害したとして、無職の松原拓海(まつばらたくみ)容疑者が逮捕されました。熱湯をかけるなどの虐待をした松原拓海(まつばらたくみ)の生い立ちが注目されています。
この記事では、松原拓海(まつばらたくみ)の生い立ちを詳しく見ていきます。
松原拓海の生い立ちまとめ
松原拓海の生い立ちを詳しく見ていく前に、これまでに分かっている松原拓海の生い立ちを整理しておきます。
・1993年 兵庫県神戸市長田区で出生 松原拓海の両親が離婚。母親に引き取られる。 ・2000年以降 大阪府羽曳野市立古市南小学校に入学、卒業 大阪府羽曳野市立誉田中学校に入学。野球部に入るもすぐに不登校に ・2010年ごろ通信制の高校に通う→三重県の高校に通うも中退 ・2013年ごろ~ 土木関係に仕事に就くも、足を負傷して退職か
松原拓海の生い立ちは大阪ではなく兵庫から始まりました。震災からの復興のさなかに生まれた松原拓海でしたが、その後両親が離婚してしまいます。
母親に引き取られた松原拓海は大阪府羽曳野市のアパートで、母親の再婚相手や自らの兄弟と暮らし始めます。松原拓海は大阪府羽曳野市立古市南小学校を無事過ごしますが、誉田中学校に入学後はすぐに不登校になります。その後、通信制の高校に進学し、三重県にある高校に進学したと言われていますが、高校を卒業することなく中退してしまいます。
松原拓海は地元の羽曳野市に戻ってきたのち、土木関係の仕事に就きますが、足のケガがきっかけで退職したと言われています。
両親の離婚と再婚、不登校など「普通とは言えない」生い立ちを有する松原拓海。以下、松原拓海の生い立ちについて詳しく見ていきたいと思います。
松原拓海の生い立ち「出身地は神戸市」
松原拓海の生い立ちは、松原拓海の自宅がある大阪府羽曳野市では無く、「兵庫県神戸市長田区」との情報があります。インターネットの匿名掲示板に投稿された松原拓海の生い立ちに関する情報です。
神戸市長田区生まれの松原拓海。1998年生まれ
週刊文春オンラインの記事によれば松原拓海の母親には離婚歴があり、松原拓海を連れて現夫と再婚後、大阪府羽曳野市で暮らしていました。匿名掲示板の情報なので信ぴょう性に注意する必要がありますが、松原拓海の生い立ちが大阪府外から始まっていたとしても不思議ではありません。
松原拓海の生い立ちが始まったと言われる神戸市長田区と言えば、1995年の阪神大震災で最も被害が大きかった地域の一つです。震災が起きたのは松原拓海が生を受ける3年前なので、松原拓海の生い立ちは震災復興の激動期に始まったともいえます。
松原拓海の小学校時代「面倒見の良い兄貴」
まつばらたくみはその後、大阪府羽曳野市南古市2丁目の自宅アパートで暮らし始めます。松原拓海の小学校は学区から、当初羽曳野市立古市南小学校と推定していました。週刊文春オンラインで 松原拓海の小学校写真が公開されたため、松原拓海の小学校は羽曳野市立古市南小学校で確定です。
松原拓海は古市小学校時代、ごく普通の少年でした。松原拓海の小中学校の同級生によれば、松原拓海は友達も多く、さらに年の離れた弟の面倒もよく見ていたと言います。
小学生の頃、休み時間によく一緒にドッジボールをしたりして遊んでいた。友達は決して少ない方ではなかった。遊んでいる間も、歳の離れた弟をいつもあやしていて、こいつは優しいヤツなんだな、と思った記憶がある。
出典:週刊文春オンライン
新村桜利斗君を虐待した松原拓海容疑者からはあまり想像できませんが、小学校時代は良いお兄ちゃんだったということでしょうか。
しかし、松原拓海が小学校の時に妹が生まれてから、松原拓海の家庭は荒れ始めたと言います。
松原拓海の中学校時代「虐待で不登校か」
松原拓海は古市南小学校を卒業後、地元の公立中学校へと進学します。松原拓海の中学校も小学校同様に週刊文春オンラインで画像が公開されました。松原拓海の中学校は羽曳野市立誉田中学校で確定です。
松原拓海は誉田中学校に入学すると、野球部に入部しました。松原拓海はガタイがいいのでキャッチャーでもやりたかったのでしょうか?ところが松原拓海は1か月もしないうちに不登校になり中学校に来なくなってしまったと言います。
松原は、中学入学後すぐに野球部に入ったんですが、それから一カ月もしないうちに突然不登校になった。松原拓海が中学校の卒業式に彼が来ていたかどうかもわからない。
出典:週刊文春オンライン
松原拓海がなぜ中学校を不登校になったかは現在調査中です。しかし、中学校時代の松原拓海の顔を見るにつけ、家庭も心も相当荒れていたことは容易に想像できます。明らかに厳しい生い立ちを持つ男の顔つきです。
松原拓海同様、母親の再婚後に小さい妹が生まれておかしくなる例として、今年6月に和歌山市で亡くなった鶴崎心桜さん(林真須美の孫)のケースがあります。鶴崎心桜さんにも小学校高学年で妹が生まれましたが、中学校入学後すぐに「妹の世話をするから」と不登校になりました。しかし実際は、親から虐待を受けていたことがわかっています(鶴崎心桜事件の詳細はこちら)
虐待された子供は自らが親になっても虐待するケースが多いと言います。松原拓海の新村桜利斗ちゃんへの拷問を見るにつけ、 松原拓海も中学生時代、両親から虐待されていた可能性は大いにあります。松原拓海への虐待に関して情報が得られ次第、追記したいと思います。
松原拓海の高校時代「保育士を目指していた」
なかなか壮絶な生い立ちを有する松原拓海。松原拓海は中学校を卒業後、通信制の高校に通っていたと言います。週刊文春のインタビューに答えた松原拓海の同級生によれば、 松原拓海は「子供が好きだから将来は保育士になりたい!」と語っています。
松原拓海の高校に関しては現在調査中です。ただ、松原拓海が保育士を目指していたとすると、松原拓海の通信制高校には「保育」に関するコースがあるはずです。大阪府近辺の通信制高校で、「保育」に関するコースがあるのは調べた限り以下の高校です。松原拓海が通った通信制高校の候補になります。
東朋高等専修学校 飛鳥未来きずな高等学校 大阪つくば開成高等学校 滋慶学園高等学校 KTCおおぞら高等学院 長尾谷高等学校
松原拓海がどのような高校生活を送っていたかは現在調査中です。松原拓海の高校を含め、詳細が判明し次第、追記していきたいと思います。
※2021.09.25 松原拓海の高校に関して新たな情報が入りましたので、記事最後に追記しました。
松原拓海のその後「大学には行かず、イケメン経営者になりすまし」
松原拓海は高校を中退後大学へは行かず、土木関係の仕事につきました。しかし松原拓海の近隣住民によれば、 松原拓海は足のけがをしてからは出勤もおろそかになり、仕事を辞めたのでないかとのことです。
また週刊文春オンラインの記事によれば、松原拓海の家にはやんちゃな服装をした同姓代の友達が黒塗りの車で現れ、松原拓海をピックアップしていった、と言われています。
別記事でも記載しましたが、松原拓海には窃盗、詐欺、さらには薬物などの前科があるとの情報があります。ネット上には「松原拓海は半グレ」との情報も多数あることから、松原拓海はやんちゃな服装をした同姓代の友達と多くの悪事を働いていたと考えられます。
一方松原拓海は、新村桜利斗ちゃんの母親に「会社経営者」として近づいています。無職のくせに「経営者」とはメチャクチャですが、新聞記事によると新村桜利斗ちゃんの母親は「会社をけいえいしている!」「めっちゃいい男!!」と興奮していたと言います。
松原拓海は新村桜利斗ちゃんを殺害後も、いつもと変わらずに友人と話していました。また、新村桜利斗ちゃんに熱湯をかけたことも「遊んでいただけ」と意に介していません。中学生以降の過酷な家庭環境、さらにはやんちゃな友達との交流から、松原拓海は人の痛みが分からない輩になってしまったのでしょうか。
松原拓海の生い立ちについて更なる情報が入り次第、追記していきたいと思います。
→松原拓海のfacebook特定「根っからの嘘つき」詐欺とクスリの前科
→新村桜利斗くん母親のインスタ「DVを受けていた」行政はガン無視
追記:松原拓海の出身高校は日生学園関連か「素手でトイレ掃除」
松原拓海の出身高校に関して新たな情報が入りました。ネットの匿名掲示板によれば、松原拓海は三重県津市の高校に進学後、高校を中退したとのことです。本情報が正しいとすれば、松原拓海の最終学歴は中卒ということになります。
さらに別の投稿では、松原拓海の母校の大先輩には芸能界の大御所Hがいるとの情報も飛び出しています。
(松原拓海は)三重県の高校を中退。その高校の大先輩に芸能界の大御所H(尼崎出身)が
兵庫県の尼崎出身で三重県津市の高校を卒業した大御所Hを調べていくと、ダウンタウンの「浜田雅功」にたどり着きました。浜田雅功は三重県津市にある日生学園第2高等学校の出身です。
三重県津市にあった日生学園第2高等学校は2015年、学校名が「青山高等学校」に変更されました。掲示板の情報が真実とすると、松原拓海の出身高校は青山高等学校である可能性が高いです。
青山高等学校は三重県津市にある全寮制の私立高校です。青山高等学校を運営する日生学園はスパルタ教育で知られており、過去には「朝4時起床」「大声での雑巾がけ」「素手でトイレ磨き」など修業僧顔負けの教育をしていました。
最近は改善されたようですが、松原拓海の熱湯をかけるという鬼畜ぶりや金〇恩ばりの風体を見るに、松原拓海の愚行の数々は高校時代にルーツがあったのかもしれません。
→行歩寿希のインスタ顔画像「加工で美人化」証拠隠滅で画像消しまくり
追記:松原拓海の熱湯かけは教育的指導か「辛いことに耐えてなんぼ」
松原拓海の出身高校が日生学園ではないか、との記述をしたのち、松原拓海の知人名乗る人物から興味深いタレコミが寄せられました。一部表現を補足・割愛しつつ掲載させていただきます。
松原拓海を知る者です。今回の事件を見て、居ても立っても居られなくなり書き込みました。松原は以前から、「男は辛いことに耐えてなんぼ」みたいなことをよく言っていました。親からとても厳しくされてたみたいですが、「メンタルが強くなった」と変にポジティブなことも言ってます。(管理人の)記事に日生学園が出てきて気づいたのですが、松原は軍隊のように体を痛みつけるのが男には必要、と本気で考えていたんだと思います。本当に許せません。
松原拓海は一時期、保育士の仕事を目指していました。松原拓海の志はおそらく、「たくましい子供(男の子)を育てる」だったのでしょう。しかし、松原拓海の歪んだ教育思想は、3歳児に熱湯をかけるという常軌を逸した行動につながってしまいました。
新村桜利斗(にいむらおりと)ちゃんはまだ3歳。裸にされ熱湯をかけられるなど拷問以外の何物でもありません。「男は耐えてなんぼ」というなら、まずは松原拓海自身が熱湯に耐えてからでしょう。大人の身勝手な思い込みが小さい命を奪ってしまう。松原拓海には極刑が望まれます。
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